嫌悪について

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概要

自分の中にある「負の感情」や、「認めたくない特徴」への対応について考えるモデル。

嫌悪感が、その対象を自分から「切り離す」役割を担っている。

 

例1

真面目な男子中学生が、同級生の下ネタに極端な拒絶反応を示す場合を考えてみよう。

「一つの定規モデル」で説明されるように、同級生の下ネタに対して嫌悪感を抱くことを繰り返すほど、「性の話題→下品」というような価値観は、自分に対しても強く向けられることになる。将来その男子中学生自身も性への興味が出てきた時に、自分の中にある「性への興味」をどう扱っていいのか分からなくなる。男子中学生は、自分の中の性への興味を、「なかったこと」にして抑圧しようとするかもしれない。

 

例2

他人の悪口で盛り上がる同級生の女子の会話を繰り返し見ているうちに、「ああはなりたくない」と嫌悪感を抱くようになった女子中学生。漠然と「他人を嫌うこと」自体を良くないものだとみなす価値観を持つようになった。そのため、他人と積極的に関わること自体を避けるようになり、クラスの女子の中でも「大きいグループ」に所属するのを避け、あまり人と腹を割って話さないようになっていった。

 

例3

ある男子寮では、新人が入ると、チ○コを出すなどの下品な一発芸をさせる風習がある。初めのうちは嫌だなぁと思っていたはずなのに、先輩になってからは、むしろ自分から積極的に脱ぎ、後輩にもやらせる立場になっている。

 

基本原則

 1.「自分が認めたくない何か」に出会った時、「受け入れる」か「切り離す」を(意識的or無意識的に)選ぶことになる。

 2.「受け入れる」か「切り離す」かは、私の「自己イメージ」(私は、自分をどのような人間として捉えているか)の在り方によって決定される。

 3.「嫌悪」の感情は、その対象を自分から「切り離す」機能を持つ。

 4.「受け入れる」場合、その対象が、自分の一部であると認めることになり、その対象は「自己イメージ」に取り込まれる。

 5.「切り離す」場合、その対象は自分の一部ではないものとして見なされるようになる。「自分」の枠を狭めて、その対象を「自分」の枠から外へ排出する。これは、「自分」の一部として許される行為や特徴を限定することでもある。

 6.「自己イメージ」から、「自分の認めたくないもの」を切り離すほど、「自己イメージ」は純粋なもの、理想的なものになり、自尊心を高めることができる。

しかし、理想的な自己像を守るための縛りが増え、自由が利きにくくなる。(このような状態を「自意識過剰」と呼ぶこともあろう)また、理想的な自己像を守るため、自分の負の面を抑圧したり、受け入れられなくなりやすくなる。

 7.「自己イメージ」に「自分の認めたくないもの」を受け入れるほど、「自己イメージ」は清濁の入り混じった複雑で捉えがたいものになる。必ずしもそうとは限らないが、不真面目、デリカシーがないと呼ばれる状態になりやすくなる。何でもかんでも受け入れていると、自分にとって何が大事で何が大事でないかという区別ができなくなる。