研究者:<ふで>
研究の概要と動機
<ふで>のコミュニケーションの特徴について、広く記述した。
<ふで>は、人間全体へ向けられた「無条件の肯定のまなざし」が強く、「評価するまなざし」が極めて弱いという特徴を持っている。一般に、「無条件の肯定」を持っている人は、自己肯定感が安定して高く、精神的に健康に育つと言われている。<ふで>は、知り合いからも、「健康」とか「健全」などと言われた経験がある。
しかし、<ふで>本人の感覚としては、コミュニケーションが上手くできない感覚を持っており、自分はいつか精神的に病むだろう、という漠然とした確信を抱えている。この不安を説明するべく、研究を行った。
研究の目的
<ふで>は、将来どのような職に就くべきなのか悩んでいる。自分は民間企業(営利企業)では働けない気がする、という漠然とした確信があったからである。自分が働ける場所はどんなところなのか、その参考になる情報を作ることが目的になった。
研究手法
<べとりん>と喫茶店で数時間ほど話し、話の内容を文面にまとめた。
<ふで>が自分の考えていることや過去の経験を<べとりん>に話した。<べとりん>は<ふで>の悩みに関係のありそうな過去の研究や事例を語り、<ふで>の自己分析を助けた。
研究の成果
1.根っことなる「価値基準」
<ふで>の行動基準の基本原則
大原則1:人の素の感情やありのままの姿、「人の本質」とでも呼ぶべきものに「価値」がある。
具体例:
・「制度」や「他人の目線」よりも、「人の本質」が優先されるべき。
・「サボりたい」とか「やる気が出ない」という人がいれば、それが優先されるのが理想。
・個々の事情を尊重すべき。
・人(自分と他人)が嫌な想いをするのが嫌。
・漠然であるが、「世の中の色々なものに触れ、人間理解している」状態が、自分の人生の理想的な状態と感じている。
・芸術(小説・演劇など)などに触れることで、人間理解が進むと感じている。
大原則2:『「評価するまなざし」に向けられた否定的なまなざし』がある。
「評価するまなざし」(=他人の目線)は、「人の本質」を失わせる原因である。他人の目線を感じると、人は自分の素の通りに動けないからである。そのため、「評価するまなざし」自体を否定的に感じている。
・他人に評価するまなざしを向けられない(向けたくない)
・自分に評価するまなざしを向けられたくない(向けられてもシャットアウトされる)
行動基準:「理屈」
・<ふで>の行動は「理屈」によって「まなざされている」(評価されている)。
・自分の行動に「理屈」が通っていることが重要である。
・「理屈」は責任の所在を整理する機能を持つ。「理屈」が通っている行動ならば、その行動は自分で責任を負い切れる行動であり、罪悪感などに襲われる心配がない。
・<ふで>の行動や存在は、直接他人のまなざしに評価されることはないが、「理屈」の領域を媒介することで、「他人のまなざし」が介入し得る。
・「私が今まで会った好きな人たちの言葉」を引用することも「理屈」に含まれる。
・基本的な価値基準は「人の本質」である。
行動目標1:「人の本質」を大事にできる人間になること(モラルを守る)
行動目標2:「人の本質」が大事にされるような環境・制度に周りを改善すること
行動目標3:「人の本質」に触れる経験を積むこと。「人の本質」を理解している人間になること
以上の3つは、<ふで>にとって望ましいことであり、行動の目標になる。
・お金の問題で人への配慮を欠くことは、個人の事情を尊重していないことであり、良い事ではない。
2.「モラル」:自分の行動に向けられたまなざし
「モラル」:人として当然守るべき規範
・「モラル」とは、人として当然守るべき規範であり、人(及び、個人のそれぞれの事情や特徴)を大事にできる人間であるべき、という規範である。
・「モラル」は<ふで>の行動を監視し、「モラル」を守るように<ふで>に圧力をかける。
「他人に関心を向け続けなきゃいけない」というまなざし
・<ふで>は、人と会うと、「私はあなたのことを大事だと思っているよ」というまなざしを送りつづけなければならない(人を無視してはいけない)、と感じている。また、人それぞれの個人の事象を尊重すべきだと感じている。
・<ふで>には「他人を嫌ってはいけない」という考え方があり、「他人を嫌うのは自分が悪いから」と感じる。
事例:
<ふで>は、「人と会っている時に携帯を取り出すのは人としてダメだ」と考えている。なぜならば、それは「あなたのことはどうでもいいと思っている」というメッセージを送ることだからである。
誠実であること:契約を守ること。関係性の持続
他人に対しては「誠実」でなければならない、という圧力が無いわけではない。「誠実」とは、お互いに交わした契約を守ること。一度関係性を交わした相手ならば、特に理由がなければその関係性の中で求められる行為を守ること、である。
例:恋愛関係では、相手の「愛されたさ」みたいなのに対応しなければならない
お互いの自由な意思を尊重すること
一つ上の「契約を守ること」よりも、「お互いの自由な意思を尊重すること」の方がより重要な規範である。
例えば、一度恋人関係になった相手がいたとすれば、最期まで関係を「持続する」ことは大事ではあるが、それよりも「お互いの自由な意思を尊重すること」の方がより重要だと考える。たとえば「持続したくない」状態が生じたのであれば、正直にそのことを言って別れたほうがよいと思う。
「モラル」からの逃避
・人と会っている間は、相手に「私はあなたのことを大事だと思っているよ」というまなざしを送りつづけなければならないため、疲れる。
・そのため、突然無性に「人と会いたくない」という気持ちになる時がある。ずっと人と関わらなければならない状況が続いた時などに起こる。
・「この相手は自分に期待しないだろう」と分かっている相手は、一緒に居て楽。
3.「評価するまなざし」が無いことの研究
他人に評価するまなざしを向けられない(向けたくない)
<ふで>は、他人に評価するまなざしを向けることがほとんどない。そのために、様々なコミュニケーション上の特徴がある。なお、「評価するまなざし」は「期待するまなざし」とも表現することができる。
a.怒らない
「怒る」とは、他人に「これぐらいはやるのが当然だろう」という気持ちを持っていたのに、それが裏切られたために発生する感情である。<ふで>は、他の人の行動に対して「これくらいはやるのが当然だろう」という評価基準を向けることがほとんどないので、「怒る」ということが少ない。
b.相手を男性として見ている感じを与えない
<ふで>は女性であるが、男性を会ってもあまり女性として見られない。他人を男性として評価する目線がほとんどないからだと推定される。
c.話を聞くのが得意
<ふで>は、他人に対して、「それはおかしい」とか「この人は変だ」などと判断して押し付けたりしないため、相手にとって安心して話をしやすい。
d.サークルの勧誘ができない
勧誘や営業などで、自分の都合を相手に押し付けるのができない。
e.TwitterなどのSNSができない
自分の思ったことや感情が誰とも分からない人に届くかもしれないのが怖いのでTwitterができない。相手がいないのにコミュニケーションできるのはすごいと思う。
f.自分から相手に踏み込まない
会話を続けるための質問はするが、自分から相手との距離を詰めようとしない。相手から踏み込んできてくれる方が楽。
g.自分が年下だと話しやすい
自分が年上だと、相手に対して圧力をかけているような気がするので、話しにくい。「バカになって聞く」という手段を使うこともある。
他人に評価するまなざしを向けられない(向けたくない)の例外
・「論理」という回路を通せば、自分の意見や感情を言うことができる。
・「論理」とは、お互いがwin-winの関係になるような共通の土台が存在しており、また相手が目標に至るために必要な情報を自分が提供するという形のことである。
例:
・他人そのものに評価するまなざしを向けるのは苦手だが、他人が作った作品にはダメ出しなどをすることができる。
・相手そのものではなく、相手の論理を否定することはできる。
・ディスカッションの場なら、意見やダメ出しは言える。
自分に評価するまなざしを向けられたくない(向けられてもシャットアウトされる)
a.twitterが絶対できない
自分の思ってることが日常的に他の人に伝わることが耐えられない。Tweetをすると、他人の目線によって自分の中が「固定」される感じがする。
b.他人の目線に積極的に同化することがない
具体例:
・他人からどう見られるかに無頓着。服装を気にしない。
・「女の子らしく振る舞わなきゃ」という気持ちがほとんどない。
*「他人に不快感を与えたくない」という気持ちは強くあり、しかし「他人に好かれたい、評価されたい」という積極的な気持ちはないという感じ。他者からの評価するまなざしに同化することによって肯定を得ようとすることが少ない。
c. 他人の会話に合わせることができない
具体例:
・「この料理おいしいよね」みたいな会話に、「そうだね」ととりあえず合わせることができない。
d.相手に「この人は自分よりもすごい人だ」と思われたくない
自分に評価するまなざしを向けられたくない理由について
・人と何か失敗をすると「どう思われるか」をシャットアウトしてきた
どちらかと言えば自意識過剰な胞である。他人と一緒にいる時に、自分が失敗をした時、相手から自分がどう思われるかをシャットアウトすることで乗り越えてきたために、こういう形に落ち着いたのではないか。
4.自己肯定の回路 ―まなざしの不均衡―
前提
・人は、必ず自己肯定感を得る回路を持っている。
・「評価するまなざし」が極めて弱い<ふで>は、別の自己肯定の回路を持っているハズである。
仮説
・「条件付きの肯定」と「無条件の肯定」という用語を定義する。(参考:一つの定規モデル)
・「条件付きの肯定」とは、条件付きの肯定とは、「かわいい」「カッコイイ」「頭がいい」「収入が高い」「善い人」など、その人がなんらかの良い特徴を持っているゆえに肯定されることを指す。
・「条件付きの肯定」には、「仲間である」「ノリが合う」「空気が読める」なども含まれる。集団の規範や価値観に同化することで肯定を得ることも、「条件付きの肯定」に含める。
・対して、「無条件の肯定」とは、「どんな人間でも、必ず大事にされるべき」というような肯定の目線である。この肯定は、「人の本質」に向けられているので、どんな人に対しても肯定の目線を持つ。
・「無条件の肯定」は、「モラル」(人として当然守るべきこと)を自分が守っていることとも結びついている。
・「理屈」から向けられるまなざしが、<ふで>の行動を肯定し、また導いてもいる。
・一般に、普通の人は「条件付きの肯定」の論理に生きているのに対し、<ふで>は無条件の肯定の論理に生きている割合が強い。
・<ふで>が他者と関わると、<ふで>は「無条件の肯定」を相手に送るのに対し、相手は「条件付きの肯定」を相手に送ろうとする。<ふで>は、条件付きのまなざしをシャットアウトしてしまう傾向があるので、肯定のまなざしが不均衡になる。
・<ふで>は、民間企業のような、成果主義の考え方が合わない気がしており、将来の就職が不安である。営利企業の考え方自体が合わなくて、病むのではないか、という心配がある。
・民間企業では、「人の本質」などだけではない評価基準が採用されており、人と自分を比べなければいけない環境に放り込まれると思う。
・肯定の回路を「無条件の肯定」に頼っているため、「無条件の肯定」のまなざしが成立しない環境に放り込まれると、肯定が足りなくなってしまう。また、他人の評価するまなざしに同化して動くことに慣れていないため、それができる気がしない、という気持ちもある。
病むんじゃないか病
・<ふで>の身の回りの人間に、メンヘラっぽい人が多かったために、<ふで>は自分もいつかは病むんじゃないだろうか、と漠然と信じている。
・そのため、精神的に無理をしたり、精神的な負荷が大きいことをしたりすることに抵抗がある。
5.意味のある会話/意味のない会話
会話の意味づけ
・昔は他人との会話に興味が湧かなかったが、「会話は事例研究だ」と思うようになってから、他人から情報を聞き出すのが楽しくなった。
・<ふで>にとって、「人の本質」に触れる経験を積むこと。「人の本質」を理解している人間になることは望ましいことである。会話は、他人から生きた人間の情報を得られるチャンスである。
会話の特徴
・会話がTopicベース。
・ロジカルなコミュニケーション
・キャッチボールというよりは手紙のようなコミュニケーション
(相手の発言を受け止めるのではなく、相手の発言の意味を読みこんで、その内容に引っかかるように新しい情報を返す)
・<ふで>は中身のない会話が苦手なので、なにか情報をぶちこもうとする。
意味のない会話=中身の無い会話
・お互いに情報の理解とやり取りができていない会話は、意味の無い会話と感じてしまう。
・「この料理おいしいよね」という発言に、「そうだね」と返すなど、とりあえず相手に合わせることができない。
・(相手にとって参考になる情報になりそうにない)自分の自己開示を続けるだけの会話には、虚しさがある。
・「あて先が決まっていない」「宙に浮いたような」発言に対応するのは苦手。
意味のある会話
・お互いに情報の理解とやり取りができている会話。
・win-winであることが望ましい。
・「自分の言葉で理解しないと理解したことにならない」と考えているため、相手の言葉を解釈して別の言葉で言い換える。
・相談を受けている時や、話を聞いている時は、せっかく話をしているのだから、「分析してあげなきゃ」「(相手の参考になる)情報をあげなきゃ」という気持ちになる。