研究者:<べとりん>
概要
「まなざし」(自意識を含む)の分析。
「自分に向けられた尺度は他人にも向く」、また逆に「他人に向けた尺度は自分にも向けられる」というルールのこと。
詳細
そもそも「まなざし」とは
例えば「金髪の人→チャラそう」「下ネタを言う人→品位が無い」など、人は他人を見る時に、相手の特徴や行動から何らかの評価を下す。この働きを「まなざし」と呼ぶ。この時の「金髪の人=チャラい」などの評価基準のことを、ここでは「定規」と呼ぶ。
「まなざし」の分類・向きで分類する
まなざしには、3種類の向きがある。
1.自分から他人に向けるまなざし
例えば、「ガムを道に吐き捨てる通行人を見て、あんな人にはなりたくないと思う」ことや、「スポーツの中でいいプレーをする先輩を見て、カッコいいと思う」、「リア充を見て、妬ましいと思う」など。
2.他人から自分に向けられるまなざし
例えば、「靴を揃えずに脱ぎっぱなしにしてると、親にだらしないと怒られる」や「テストでいい点を取ると、先生に褒められる」、「起業についてツイートすると、意識が高いと叩かれる」など
3.自分(or自分が仮想した他人)から自分に向けるまなざし(=自意識)
例えば、「変な服装で街中を歩いていて、変な人と思われてるんじゃないかと思う」「もしリア充になったら、周りから嫌われるんじゃないかと思う」「言葉に詰まると、目の前の相手が自分の事を不快に思っているんじゃないかと不安になる」など。
自意識の亜種として、「空間から向けられるまなざし」「信念から向けられるまなざし」「関係性から向けられるまなざし」「ハードルから向けられるまなざし」など、その人の世界の中にある概念から向けられるまなざしも想定可能である。
「一つの定規モデル」とは
一つの定規モデルとは、上の3つのうち、どれか一つの向きで使用された「まなざし」は他の向きにも広がるというルールである。
例えば、2「靴を揃えずに脱ぎっぱなしにしてると、親にだらしないと怒られる」ということを繰り返し経験してきた人は、3「靴を脱ぎっぱなしにしているところを見られたら、だらしがないと思われるだろう」と思うようになり、1「靴を揃えずに脱ぎっぱなしにしてる人はだらしがない」と思うようになる。他の例では、1「非童貞は軽薄で恥を知らない奴らだ」というように他人の事を思っていると、3「童貞はエライ」というように自分のことを評価するようになる。
また、2「親に大事に育てられる」と1「他人のことも大事だと思うようになる」や、1「人間なんてどいつもこいつも価値が無いと思っている」と2「自分にも生きるだけの価値はないと考えるようになる」というようなことも起こる。
おまけ:「まなざし」の分類・質で分類する
まなざしの質は、2種類に分類できる。
1.「条件付きのまなざし」
対象の何らかの特徴や行動を、肯定/否定するまなざしのこと。
例えば、「学歴が高い=優れている」「リア充=敵」など。
この種類のまなざしの裏には「尺度」が隠れている。(この尺度のことを一つの定規と呼んでいる。)
例えば、「学歴が高い=優れている」というまなざしの裏には、「学歴=能力の高さ」というような尺度が隠れている。このようなまなざしに強く曝されていると、学歴が高くないと自分が肯定されないような気持ちになることがあり、学歴コンプレックスの原因となる。
このように、「評価するまなざし」は、相手に何らかの尺度を押し付け、相手の行動や性格を制限する圧力になることがある。
2.「条件の付かないまなざし」
対象の行動や特徴に関係なく、相手を肯定/否定するまなざしのこと。例えば、親が子供を見守る目線は、代表的な「条件の付かないまなざし」(別名:無条件の肯定)であると言われる。「何も言わずに一緒に居てくれる」「少しくらい失敗しても何も言わずにいる」などは、特定の特徴や行動を指し示していないので「条件の付かないまなざし」である。
また、「人間は誰でも大切にされるべき存在である」というような考え方や、「人間はどいつもこいつも価値が無い」というような考え方も「条件の付かないまなざし」の一つである。
具体例
・美少女が労働しているアニメを見ていると、「労働する人=尊い」というまなざしで見るようになり、労働している自分のことも肯定的に捉えられるようになる。
・美少女が労働しているアニメを見ていると、「二次元=尊い」というまなざしで見るようになり、「三次元(現実)の自分=価値が無い」というまなざしで自分のことを見るようになる。
・Twitterをしていて、他人のリア充ツイートを見ているうちに腹が立ってくるので、「リア充=周囲を弁えない」というまなざしで他者を見ているうちに、「非リア=偉い」というまなざしで自分を捉えるようになり、自分がリア充になった場合のことを否定的に捉えるようになる。
・自分が先輩のことを「先輩=何でもできる人」と捉えていたので、自分が先輩になった時も、後輩から「なんでもできる人」として見られているように感じ、自分の弱みを見せることができないでいる。
・自分の自尊心を保つために、「自己反省・自己嫌悪する人=偉い」というまなざしを自分に向け続けてきた("自意識を拗らせてきた")ので、自分のことを批判しないような人や、いつも楽しそうに生きている人を見ると、薄っぺらい人間のように思える。