執筆者:<べとりん>
概要
大学の講義で聞いた平野啓一郎の「分人論」が当事者研究に使えそうだったので、私なりに少しアレンジして紹介します。「自分」を「本当の自分」と「キャラ」に分けて、「本当の自分」に関わる悩みについて、考え方を整理します。
詳細
「自分」を、「本当の自分」と「キャラ」に分ける。
・「キャラ」
「アカウント」「仮面」などの表現でも可。ある特定の相手の前やある特定の場に出る時の、周囲に見られる自分。例えば「学校の時の自分」「家族といる時の自分」「ネット上の自分」などがある。
図では一つしか描かれていないが、一般的には複数ある。Twitterでいう「複数アカウント」のように、一人が場に合わせていくつもの「キャラ」を持ち、用途に合わせて使い分けている。「自分」とは、それぞれの「キャラ」の割合で表される、というのが分人論の立場である。
・「本当の自分」
Twitterで言えば「中の人」。誰からも見えない位置にいて、「キャラ」(アカウント)を作ったり、操作したりする。また、「キャラ」として他者に見せられない自分を格納しておくための倉庫でもある。
法則1:「キャラ」はまなざしに染まる
・「人前に立っている時は本当の自分ではない」
人前に立つ時、その場の空気や周囲の期待に染まることが求められる。そのため、「人に見せられるような」自分である必要がある。それは「面白い人」だったり、「良い子」だったりする。
法則2:「本当の自分」には、他者のまなざしが届かない
・「本当の自分」は他人から見えない。そのため、
「本当の私」を誰も理解してくれない、という悩みが生じることになる。
これは、「私にとっての自分(=本当の私)」と「他人にとっての私(=キャラ)」が別物と感じられるために起こる。
・「本当の自分」はまなざしを受けないため、「キャラ」と「本当の自分」を分離する(=人前に立つときに「キャラになる」、「仮面をつける」)ことで、「本当の自分」が傷つくのを防ぐことができる。
他者から見られることは、自分の弱みを見られたり、また批判を受けたりすることでもあるからである。
法則3:「本当の自分」は、私が自由に解釈を決定できる
・今はなめられているが、「本当の自分」はもっとすごいことができるハズだ。
「キャラ」は他人にまなざされているために、「キャラ」の見え方は他人によって定められやすい。例えば「〇〇さんは優しい人ですね」「〇〇は▲▲と恋人です」など。一方、「本当の自分」は誰からも見えないので、自分で自由に解釈することができる。
法則4:「本当の自分」は時間の流れの中で一貫しているとは限らない。
私たちはむしろ多くの時間を「キャラ」として過ごしている。「本当の自分」とは、「キャラ」になっている自分が、いざという時に退避する場所でもある。例えば、人まで愛想を振る舞っていて疲れた時は、「私は本当はこんなに人づきあいが好きなわけじゃないのに」という風に、自分の本当の姿を仮想し、そこを退避場所・避難場所にする。
そのため、「本当の自分」とは、その自分がなっている「キャラ」に依存的な存在でもある。自分が周囲のまなざしに合わせて「キャラ」に染まろうとする時、捨てられた部分が、「本当の自分」として、誰からも見えない後ろの方に格納される。
おまけ・自己肯定戦略の違い
・「自己肯定感」という言葉があるが、この「自己」も多様である。どちらの「自己」が肯定されるのかによって、自己肯定戦略を分けてみる。
・「キャラ」による自己肯定
「キャラ」が肯定されることで得られる自己肯定感は、他者からの直接的・身体的な関わり(誕生日を祝ってもらう、一緒にのんびりした時間を過ごす、仲間との一体感を感じる)によるものが多い。常に安定しておらず、他者の気持ちや環境の変化の影響を受けやすい。こちらだけに頼っていると、他者からの期待やまなざしに合わせることに躍起になりやすいが、その分他者との関係を良好に維持する能力は高くなりやすい。
・「本当の自分」の自己肯定
「本当の自分」は他者から見えないため、いわば自意識に頼る自己肯定になる。「私は他の人より優れた内面を持つ人物だ」(私はあいつらと違って易々と他人に迎合したりしない)とか、「私は能力のある人物だ」とか、「私は善い人だ」(周囲の人と違って、他人に価値観を押し付けたりしない)いうような自己肯定手段になる。
他者からのどんなまなざしが飛んでくるかは変動しやすいが、自意識は比較的変動が少なく、一応は自分のコントロール下にあるため、安定した自己肯定感を得ることができる。その代わり、自意識に自分を縛られたり、人前に出るのが怖くなったりすることがある。また、「本当の自分」を他者に晒すと、今まで自意識による肯定の源だった「本当の自分」の部分が他者の眼に入ることになり、法則3『「本当の自分」は、私が自由に解釈できる』からはみ出してしまうため、つらくなる、という現象が起こることがある。